東京高等裁判所 平成11年(行ケ)142号 判決 2000年7月19日
原告
豊田合成株式会社
代表者代表取締役
【A】
原告
株式会社豊田中央研究所
代表者代表取締役
【B】
両名訴訟代理人弁護士
大場正成
同
尾崎英男
同
嶋末和秀
同
黒田健二
同弁理士
【C】
同
【D】
同
【E】
被告
日亜化学工業株式会社
代表者代表取締役
【F】
訴訟代理人弁護士
品川澄雄
同
吉利靖雄
同
山上和則
同弁理士
【G】
同
【H】
同
【I】
同
【J】
主文
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 原告ら
特許庁が平成10年審判第35031号事件について平成11年3月17日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文と同旨の判決
第2当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
原告らは、名称を「窒化ガリウム系化合物半導体発光素子」とする発明(以下「本件発明」といい、その特許を「本件特許」という。)の特許権者である。本件特許は、平成3年10月30日に出願(特願平3-313977号)、平成9年4月4日、手続補正書による補正(以下「本件補正」という。)がされ、同年6月27日、設定登録がされた(特許第2666228号)。被告は、平成10年1月20日、本件特許の無効審判を請求し、特許庁は、この請求を平成10年審判第35031号事件として審理した。原告らは、平成10年5月25日付け訂正請求書、同年12月7日付け手続補正書を提出した(以下、これらによる訂正を「本件訂正」という。)。特許庁は、平成11年3月17日、「特許第2666228号発明の明細書の請求項第1項ないし第9項に記載された発明についての特許を無効とする。」との審決をし、その謄本は、同年4月24日、原告らに送達された。
2 本件特許の願書に添付された明細書(以下「明細書」という。)の特許請求の範囲の記載
(1) 出願当初の明細書(以下「当初明細書」という。)のもの
【請求項1】n型の窒化ガリウム系化合物半導体(AlxGa1-xN;0≦X<1)から成るn層と、前記n層に接合するp型不純物を添加した半絶縁性のi型の窒化ガリウム系化合物半導体(AlxGa1-xN;0≦X<1)から成るi層とを有する窒化ガリウム系化合物半導体素子において、
前記i層の表面に形成された透明導電膜から成る第1の電極と、前記i層の側から前記n層に接続するように形成された第2の電極とから成り前記i層の側から外部に発光させることを特徴とする半導体発光素子。
(2) 本件補正後のもの
【請求項1】サファイア基板と、この基板上に形成された、n型の窒化ガリウム系化合物半導体から成るn層と、p型不純物を添加した窒化ガリウム系化合物半導体から成るp型不純物添加層を有する発光素子において、
前記p型不純物添加層の一部を除去して露出された前記n層上に形成された第2の電極と、
前記第2の電極と同一面側に設けられ前記p型不純物添加層のほぼ全面に設けられた透明の第1の電極と、
前記第1の電極の一部に設けられたワイヤボンディングのための取出電極とを有し、
前記n層は、前記p型不純物添加層全体に均一に電流が流れるようにSiがドープされた低抵抗率のGaNとしたことを特徴とする窒化ガリウム系化合物半導体発光素子。
【請求項2】前記取出電極と前記第2の電極は、形状が異なることを特徴とする請求項1に記載の発光素子。
【請求項3】前記p型不純物添加層の一部は、ドライエッチングにより除去されたことを特徴とする請求項1または請求項2に記載の窒化ガリウム系化合物半導体発光素子。
【請求項4】前記取出電極は、前記第1の電極の周辺部の一部に設けられていることを特徴とする請求項1乃至請求項3のいずれか1項に記載の窒化ガリウム系化合物半導体発光素子。
【請求項5】前記取出電極は、前記第1の電極と前記第2の電極の対向する反対側の周辺部の一部に設けられていることを特徴とする請求項1乃至請求項4のいずれか1項に記載の窒化ガリウム系化合物半導体発光素子。
【請求項6】前記n層は、前記サファイア基板の側からSiがドープされたGaNから成る層と、ドナー不純物が無添加のGaNから成る層との2層構造としたことを特徴とする請求項1乃至請求項5のいずれか1項に記載の窒化ガリウム系化合物半導体発光素子。
【請求項7】前記取出電極は、NiとAuの2層を有することを特徴とする請求項1乃至請求項6のいずれか1項に記載の窒化ガリウム系化合物半導体発光素子。
【請求項8】前記p型不純物添加層は、p型不純物が添加されたGaNであることを特徴とする請求項1乃至請求項7のいずれか1項に記載の窒化ガリウム系化合物半導体発光素子。
【請求項9】前記第1の電極に接合した前記取出電極に導線により接続される第1のリードピンと、
前記第2の電極に導線により接続される第2のリードピンとを更に有することを特徴とする請求項1乃至請求項8のいずれか1項に記載の窒化ガリウム系化合物半導体発光素子。
(3) 本件訂正後のもの
【請求項1】サファイア基板と、この基板上に形成された、n型の窒化ガリウム系化合物半導体(GaN)から成るn層と、p型不純物を添加した窒化ガリウム系化合物半導体(GaN)から成るp型不純物添加層を有し、発光する部分が前記p型不純物添加層上の電極の電極下領域に限定される発光素子において、
前記p型不純物添加層の一部を除去して露出された前記n層上に形成された第2の電極と、
前記第2の電極と同一面側に設けられ前記p型不純物添加層のほぼ全面に設けられた透明の第1の電極と、
前記第1の電極の一部に設けられたワイヤボンディングのための取出電極とを有し、
前記n層は、前記p型不純物添加層全体に均一に電流が流れるようにSiがドープされた低抵抗率のGaNとしたことを特徴とする窒化ガリウム系化合物半導体発光素子。
【請求項2】ないし【請求項9】は、(2)のものと同一
3 本件補正の内容
(1) 当初明細書の請求項1における「p型不純物を添加した半絶縁性のi型の窒化ガリウム系化合物半導体(AlxGa1-xN;0≦X<1)から成るi層」を「p型不純物を添加した窒化ガリウム系化合物半導体から成るp型不純物添加層」とし、当初明細書の発明の詳細な説明の欄に記載の「i層」を「p型不純物添加層」とした。(以下「補正事項1」という。)
(2) 当初明細書の特許請求の範囲の請求項1に、「前記n層は、前記p型不純物添加層全体に均一に電流が流れるようにSiがドープされた低抵抗率のGaNとした」なる記載を追加した。(以下「補正事項2」という。)
4 審決の理由の要旨
本件審決は、別添審決書写し記載のとおりであり、本件補正がいずれも当初明細書の要旨を変更するものであるから、本件特許出願は、本件補正の手続補正書を提出したときにしたものとみなされるところ、本件訂正に係る発明は、本件特許出願の公開公報である特開平5-129658号公報に記載された発明と同一であって独立特許要件を欠くので、本件訂正を認めることができず、また、本件発明は、当該公報に記載された発明と同一であって特許を受けることができないものであるので、本件特許を無効とすべきものであるとした。
第3審決取消事由
審決は、本件補正が当初明細書の要旨を変更するものであると判断するが、これは誤りであって、審決の結論に影響を及ぼすものであるから、審決は取り消されるべきである。
1 pn接合型発光素子の周知性
p型不純物を添加して得られたp型不純物添加層は、半絶縁性であることから「i層」と呼ばれるのが一般的となっていたが、平成元年、電子線照射により、p型不純物を添加した窒化ガリウム結晶の抵抗率が半絶縁体の領域から半導体の領域に下がることが発見され、本件出願日当時、pn接合型窒化ガリウム系発光素子の存在は、既に当業者の間で周知の事実となっていた。
2 p層の記載
補正事項1は、p型不純物添加層が「半絶縁性のi型」に限定されないことを明らかにするものである。当初明細書に記述されているMIS型の窒化ガリウム系発光素子と pn接合型窒化ガリウム系発光素子とでは、p型不純物添加層が「半絶縁体のi層」か「p層」かという相違はあるが、本件発明は、従来のフリップチップ方式の電極構造の問題点を解決するためにワイヤボンディング方式を採用するものであって、このような電極構造は、p型不純物添加層の相違とは関連がない。
3 π型について
本件出願時のいわゆるMIS型構造の窒化ガリウム系発光素子のp型不純物添加層は、半絶縁性で、i型とp型の中間という意味で「π型」とも呼ばれるものであり、MIS型とpn接合型の窒化ガリウム系発光素子は、いずれもn型窒化ガリウムとπ型あるいはp型窒化ガリウムを接合して、接合に対し順方向に電圧を印加して発光させるものである。両者の素子構造は基本的に同一であり、p型不純物添加層の抵抗率の大きさによってπ型かp型かが区別されるにすぎない。
4 i型の抵抗率
半絶縁性のi型の窒化ガリウム系化合物半導体が108Ω・cm以上の高抵抗率を有するという審決の認定の根拠は、当初明細書には存在しない。i型の窒化ガリウム系化合物半導体は、絶縁体ではなく、半絶縁性である。したがって、当初明細書の記載から、そこに開示された窒化ガリウム系発光素子がpn接合型のものと全く異なるものであるかのように認定することは誤りである。
5 補正事項2について
pn接合型窒化ガリウム系発光素子は、本件特許出願前に周知であり、本件当初明細書を見る当業者にとっては、pn接合型窒化ガリウム系発光素子においても、本件発明の電極構造と共にn層に硅素をドープして低抵抗率とした窒化ガリウムを用いればp型不純物添加層全体に均一に電流が流れるようにすることができることは理解できる。したがって、訂正事項2も明細書の要旨を変更するものではない。
第4被告の反論
1 pn接合型発光素子の記載
当初明細書には、低抵抗p型結晶が得られることに関する記載又はこれを示唆する記載はない。本件出願当時、発明者は、本件発明をpn接合構造には適用せず、MIS型構造にのみ適用するとの認識であった。また、当初明細書の記載は、すべてMIS型構造窒化ガリウム系発光素子に関する記載であって、pn接合型窒化ガリウム系発光素子に関する記載又はそれを示唆する記載はなく、むしろ、積極的にpn接合型を排除する記載があり、当初明細書は、MIS型窒化ガリウム系発光素子に特有の事項のみを記載している。
2 p層の記載
当初明細書には、窒化ガリウム系半導体の「p層」の記載又はこれを示唆する記載はない。半絶縁性のi層と低抵抗のp層との違いは、その桁違いの抵抗率のみにあるのではなく、発光素子に使われた場合、MIS構造のi層として作用するのか、pn接合のp層として作用するのかという点に起因して、それぞれの発光素子の素子構造及び動作原理が異なる。「半絶縁性のi層」を有しているか「p層」を有しているかは、「MIS型構造」か「pn接合構造」かの区別に対応するものであって、p層とi層を同一視することはできない。
3 π型について
当初明細書には、MIS型構造の窒化ガリウム系化合物半導体発光素子しか記載されておらず、MIS型構造において、p型不純物添加層が「絶縁性のi層」であったとしても、「半絶縁性のi層(π層)」であったとしても、MIS型発光素子の絶縁体層として作用していることに変わりはない。したがって、MIS型とpn接合型とでは、窒化ガリウム系発光素子の構造は異なるものである。
4 補正事項2について
当初明細書の発明は、pn接合型窒化ガリウム系発光素子を含まないから、補正事項2が明細書の要旨を変更するものであることは明らかである。当初明細書には、MIS型窒化ガリウム系発光素子において、電流が素子内を横方向に拡散せず、発光が電極直下で見られることに起因して、発光素子の実装にフリップチップ方式を採用する際に技術課題が存在すること及びその解決手段が記載されている。
第5当裁判所の判断
1 補正事項1について
(1) 補正事項1の内容
補正事項1は、前記のとおり、当初明細書の請求項1における「半絶縁性のi型の」及び「(AlxGa1-xN;0≦X<1)」との記載を削除し、「i層」との記載を「p型不純物添加層」との記載に補正するものである。そして、この補正により、本件発明には、従来のMIS型の発光素子に加え、p型窒化ガリウム系半導体から成るp層とn型窒化ガリウム系半導体から成るn層とを接合したpn接合型窒化ガリウム系発光素子が含まれることとなる。
(2) 当初明細書の記載
当初明細書(甲第3号証)に記載された窒化ガリウム系発光素子は、すべてMIS型のものであって、pn接合型窒化ガリウム系発光素子に関する記載又はそれを示唆する記載はない。むしろ、当初明細書には、「【0002】【従来技術】従来、青色や短波長領域発光の発光ダイオードとしてGaN系の化合物半導体(AlxGa1-xN;0≦X<1)を用いたものが知られている。・・・【0003】このようなGaN系の化合物半導体は、低抵抗p型結晶が得られていないため、これを用いた発光ダイオードは・・・いわゆるMIS型構造をとる。」との記載がある。このような当初明細書の記載に照らすと、当初明細書の記載は、pn接合型窒化ガリウム系化合物半導体発光素子の採用を積極的に排除しているものというべきである。
(3) pn接合型発光素子の周知性について
原告は、本件出願日当時、pn接合型窒化ガリウム系発光素子が既に当業者の間で周知であったことを主張し、また、本件発明がpn接合型窒化ガリウム系発光素子にも適用できることを主張する。しかしながら、本件において問題となるのは、本件補正が当初明細書の要旨を変更するものであるかどうかであり、補正後の本件発明の容易想到性ではない。前記のとおり、当初明細書には、pn接合型窒化ガリウム系発光素子について何ら記載されていないばかりか、むしろpn接合型窒化ガリウム系化合物半導体発光素子の採用を積極的に排除しているものというべきであるから、pn接合型窒化ガリウム系発光素子が当業者の間で周知であり、また、結果的に本件発明がpn接合型窒化ガリウム系発光素子に適用できるとしても、当初明細書の記載が前記のようなものである以上、当初明細書においてpn接合型窒化ガリウム系発光素子の発明が開示され、当初明細書の「半絶縁性のi型の窒化ガリウム系化合物半導体発光素子」が「低抵抗のp型」のものを含むということはできない。
(4) したがって、補正事項1により、本件発明に係る窒化ガリウム系化合物半導体発光素子がMIS型のみならずpn接合型窒化ガリウム系発光素子を含むこととなり、したがって、「半絶縁性のi型の窒化ガリウム系化合物半導体発光素子」が「低抵抗のp型」のものを含むものに補正されたこととなり、しかも、当初明細書の内容に照らし、pn接合型窒化ガリウム系発光素子が本件に係るMIS型のものに含まれることが自明であるとも、「半絶縁性のi型の窒化ガリウム系化合物半導体発光素子」が「低抵抗のp型」のものを含むことが当初明細書の内容から自明であるということもできないから、補正事項1は、当初明細書の要旨を変更するものというべきである。
(5) 原告らは、本件発明が従来のフリップチップ方式の電極構造の問題点を解決する発明であることを主張する。確かに、当初明細書及び補正後の明細書(甲第2号証)によれば、本件発明がフリップチップ方式の電極の問題点を解決するためにワイヤボンディング方式のものを採用して、光の取出しを容易にするなどの目的を有することが認められるが、本件発明がこのような目的を有するとしても、「半絶縁性のi型の窒化ガリウム系化合物半導体」を本件発明の必須の構成要件とする以上、補正事項1によりこれを「低抵抗のp型」のものを含むように補正することは、明細書の要旨を変更するものであるといわざるを得ず、このことは、本件発明の主要な目的がフリップチップ方式の問題点を解決することであるとしても、左右されるものではない。原告らの主張は、採用することができない。
(6) なお、原告らは、半絶縁性のi型の窒化ガリウム系化合物半導体が108Ω・cm以上の高抵抗率を有するという審決の認定の根拠が当初明細書に存在しないことを主張するが、審決が明細書の記載内容を解釈するに当たっては、周知の技術事項を参酌することは当然であり、その技術事項が明細書中に記載されていることを要するものではない。本件においては、上記事項は周知であって、このことは、甲第6号証(「応用物理」 Vol.60 No.2 1991 02)にも「電気的には、成長したままの状態ではGaN:Mgは実験した範囲内ですべて108Ω・cm以上の高抵抗率を有し、伝導型の測定も困難であった.」(164頁左欄 25ないし27行)と記載されていることからも明らかである。
2 以上のとおり、補正事項1に関する審決の判断は正当であるから、補正事項2に関する審決の取消事由につき検討するまでもなく、本件補正は明細書の要旨を変更するものというべきであり、審決の取消事由についての原告の主張は理由がなく、他に審決を取り消すべき事由は認められない。
よって、原告らの請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民訴法61条、65条1項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田中康久 裁判官 石原直樹 裁判官 長沢幸男)